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2008年03月 アーカイブ

2008年03月27日

宋の兵制

どんな経緯があったかホントに興味深いですね。


唐が各地に軍閥とも言える節度使の割拠を許し、続く五代十国時代の騒乱に至ったことに鑑み、宋は、科挙を本格的に運用し、名実ともに文臣官僚制が完成の域に達した。皇帝が士大夫出身の官僚を手足として使い国政に当たる体制は、「皇帝専制」、「君主独裁」とも称される。隋の文帝により始められた科挙制度だが、科挙が真の意味で効力を発揮しだしたのは宋代だと言われる。宋代は歴代でも非常に科挙の盛んな時代であり、ほぼ3年に1回行われ、一回に付き3?400人が合格した。

宋の兵制は傭兵制(募兵制)である。太祖は禁軍の制度を改変して全軍の司令官職を廃止して皇帝直属とし、その下部の存在としてしか将軍を使わない事にした。常備軍は北宋中期に140万を数えたが、数だけ多く、実戦となると不安な兵士が多かったようである。史料からも中国統一後の宋軍の戦歴は、勝ち戦が圧倒的に少ない。更に歩兵が主体だったため、騎兵を主力とする遼や西夏相手には苦戦を強いられ、多くの損害をこうむった。また、140万という多くの兵士を雇ったため軍事費は国家予算を圧迫し続けた。その上、文人重視主義の為武人は非常に蔑視され(中国の諺には「良い鉄は釘にしない、良い人間は兵隊にならない」というものがある)、結果兵士のなり手を探すのに苦労することも多々あり、兵士には罪人出身者や素行の良くない者が目立つようになり、士気や規律も低下していたと考えられる。なお、逃亡を防ぐため兵士達には全て刺青が施されており、一般民とは区別されていた。

唐代までは都市は夜になると閉門し、都市内の各地区も出入りが禁じられていたが、宋代にはこれらが取り払われ、開封では夜になっても路上に商店が立ち並び、都市から人々の姿が絶えることはまずなかった。

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